ベビーシッターライフ in New York

秘境地域専門の旅行会社で働いていたので、ガラパゴス諸島で陸イグアナとにらめっこして負けたり、添乗員として行ったブラジルのアマゾンで、ピラニア釣りを体験したお客さんが上手すぎて、大量のピラニアが釣れてしまい、フライにして食べたり・・と、30カ国以上を訪れているので色々とネタはあるのかもしれない。

しかし、ニューヨーク郊外のロングアイランドにある、ほとんど白人しか住んでいない静かな住宅街で、ベビーシッターとして普通のアメリカ人と過ごした地味な日々も印象的だったなぁと今でも想い出す。それは、赤ちゃんや小さな子供の世話をしたり、家事をしたり、そして、時々マンハッタンへ遊びに行き、合間に色んな人に次から次へと紹介され、「Hi, Keiko.」と挨拶されるという日々でもあった。

カナダからニューヨークへ

カナダのワーホリに行く事は決まっていたが、ニューヨークにも行きたかった理由としては、4年半勤務した旅行会社を退職する1週間前に起きた、米国同時多発テロがキッカケだった。

旅行会社は残業が多く、結構激務だ。しかし、その年は過去最高の利益を出せそうで、儲けた分は社員にボーナスとして還元する、という会社の方針もあり、今年の夏のボーナスは期待出来そうだと盛り上がっていた。私はそのボーナスをもらってから辞めて、カナダのワーホリに行く予定だった。・・が、米国同時多発テロが起き、苦労して集客した旅行のほとんどはキャンセルとなり、ボーナスは泡と消えたのである。この事件で被害に遭われた方やそのご家族、お知り合いの悲しみを思えば、私のボーナスなど小さな事だった。

しかし、旅行を楽しみにされていたお客様が泣く泣くキャンセルされ、逆に「大変でしょうけど、がんばって下さいね。」と励まされたり、70万くらいはもらえるのでは?と予想されていたボーナスをカナダ滞在の資金の足しにしようと思っていたので痛い事は痛い。そして、感じたのは世界はつながっているという事だった。言ってみれば、飛行機で12時間くらいかかる遠いニューヨークで起きた事件に、私のような平凡な会社勤めの日本人も、形は違えど、巻き込まれるのである。この事件の現場を、実際に見てみたいという思いがあり、どうせ隣国のカナダに行くのだから、ニューヨークにも行けたらなぁと思っていた。

ワーホリビザの期限が切れそうな頃、そのチャンスが巡ってきた。カナダのジャスパーで働いていた時に、知り合いのB&Bオーナーのカナダ人に、もうすぐワーホリビザが切れるけど、ニューヨークに行きたい、という話をしていたら、「この間ここに遊びに来た、アメリカに住んでいる私の従兄弟の友達がこんなメモ残していたわ。連絡してみたら?」と言う。そのアメリカ人の従兄弟の友達・ヘレンとは、私がバイトをしていたマリン・レイク沿いのカフェにきたので、挨拶をしただけである。B&Bの宿泊者が感想を書くノートに、”Contact me to stay with light work” とだけ書いてあった。Light workとは何だろう?と思ったが、オーナーも「私もよく分からないから、とりあえずメールしてみたら?」と言われて、メールしてみた。

ヘレンからはすぐに返信がきた。曰く、”私の息子夫婦が子供2人がまだ小さくて大変そうだから、その家に滞在してもらって、その代わりにちょっと家事を手伝ってもらえればと思ったんだけど、実は、キッチンや内装を大幅に改装する事になって、今は滞在が難しいみたいなの。でも、私の同僚があなたに興味を持っているから、彼女に直接聞いてみて!”との事だった。

紹介された人々の話

ヘレンへ連絡を取ってからというもの、何故か私には次々と人を紹介される日々を過ごす事になった。全員ではないが、少なくとも印象に残った人々の話を書いておこうと思う。

ヘレンの同僚パム

ヘレンから紹介された同僚パムにメールしてみたところ、「滞在してもらっていいわよ!」というざっくりとした返信がきた。どれくらい滞在して良いのか、そもそも何をしたら良いのかわからないので聞いてみたところ、「いれるだけいたらいいわよ。時々日本食を作ってくれたり、作り方を教えてくれたらOK.」という事であった。あまり料理に自信はなかったが、とりあえず、日本人がビザなしでアメリカに滞在出来るのは3ヶ月なので、3ヶ月弱滞在しますと連絡して、ニューヨークに行く事になった。しかし、結局これはある理由により、パムのお家には滞在出来なくなってしまった。理由については、最後に説明したいと思う。

パムの家に滞在出来なくなり、どうしようかと思ったが、ヘレンはあきらめない(笑)。「他にも滞在出来る家がないか、探してみるから。」との連絡がきた。一度軽く挨拶しただけの間柄なのに、親切な人である。

ヘレンの息子ジョーダンとその奥さんアナスタシア、息子ポール、奥さんのお母さん

結局、ヘレンの2人いる息子のうち、兄の方が家の改装により滞在出来ないが、弟の方も1歳の男の子と、奥さんアナスタシアは2人目を妊娠中という事なので、そちらの方で家事育児を手伝ってもらえれば助かるので、来てもらってOKという話になり、私はカナダからニューヨークへ行き、ヘレンの下の息子ジョーダンの家に滞在する事になった。

なぜ兄の家が滞在出来ないという話になった時に、同僚よりも先に、弟の家を紹介しなかったのか?と思った人はいないだろうか。私は少し疑問に感じたのだが、滞在してみて何となく理由がわかった気がした。

アナスタシアは、12歳の時ギリシャから移住してきたそうで、12歳以降アメリカで教育を受け、大学を卒業して学校の先生をしているが、現在は育休中+2人目も妊娠中という事であった。

色白でキレイな人だが、料理が出来ないそうで、もうすぐ1歳になる息子ポールの世話も、そこまでしている感じではない。料理はたまにアナスタシアのお母さんが泊まりにきて、その間はその人がやってくれる。ただし、お母さんは英語が全く出来ないそうで、アナスタシア以外とは話をする事がない。

では、普段は誰が家事育児をやっているのかというと、ジョーダンである。ジョーダンは、以前は警察官だったが、辞めて不動産会社で働いていた。仕事から帰ってくると、せっせとポールの世話をしている。ジョーダンは仕事もし、家に帰ると家事育児をやっているので、日本のワーキングマザーばりに忙しそうだ。そこで私の手を借りたいという事になったようだ。

また、ポールの1歳のバースディパーティをやるのに、会場として使う予定の地下室が物だらけで、このままでは使えないので、片付けを手伝って欲しいという事だった。地下室を見たら、「オー、マイガッ!」であった。あらゆる物が大量に部屋を占拠していて、片っ端から捨てていくしかない状況だった。という訳で、私はこの家に無料で滞在させてもらいながら、ひたすら朝から地下室の片付けをしながら、ポールの世話をしたのである。

もし私がいなければ、どうやってパーティを開くつもりだったのかと謎だが、どうにかこうにか、パーティは出来た。そこで数ヶ月ぶりにヘレンに会った。そして、そこからアメリカ社会の洗礼・・つまり、会った人には片っ端から、「Hi!こちらはCathyよ。Cathy、こちらはKeiko」と挨拶しまくるという生活が始まったのである。私としては、どうせ3ヶ月でいなくなっちゃうんだから、イチイチ紹介してくれなくていいんだけどな~。と思っていたし、だいたい、白人しかいないこの地域で、唯一と言っていいくらいのアジア人である私は明らかに浮いていたので、最初はとまどいもあった。しかし、皆さん普通に「Hi、Keiko!」と明るく挨拶してくれて、イチイチ「あなた、どこの国の人?なぜここにいるの?」とか聞いてこないので、次第に慣れていった。

ヘレンの息子ジョーダンの知り合いで、心から神を信じている若い夫婦

挨拶だけでなく、一度会っただけであろうと、一緒に出かける事もあった。ある日、ジョーダンが近所のみんなとリンゴ狩りに行くから一緒に行こうと言われた。しかし、当日、自分達は行けなくなったので、この間のパーティであった若夫婦の車に載せてもらえるよう頼んだから、あなたは行ってきなさい、と言う。(え?そうなんだ。まぁいいけど、一度会っただけだからなぁ~。何話そう?)。すぐに誰とでも打ち解けて話せるタイプではない私は困惑したが、軽く挨拶しただけだったがその夫婦はとても穏やかそうな感じの良い夫婦だったし、もとより私には他の選択肢はない。思った通り、とても優しい雰囲気の若い夫婦だったが、車中色々と話していたら、「私達は神を信じてるの。心の底からね。」「あなたは?」と言われて、(いきなり宗教の話かぁ。海外で政治と宗教の話をするとトラブルの元になるから、しない方が無難って聞いたけど。)と思ったが、とりあえず「仏教徒です。」と答えたら色々と質問された。しかし、私がそこまで詳しくない事を感じ取ったのか、すぐに別の話題になり、1日りんご狩りを楽しんで、平和に過ごす事が出来た。

しかし、ジョーダンの家では、アナスタシアに次から次へと家事を言いつけられて、マンハッタンまで30分程の場所にいるのに、気軽に観光に行ける雰囲気ではない。時々遠慮しながら時間をもらっているような状態で、ヘレンも、「ジョーダンの奥さんは料理しないし、家事もしない。そうでしょ?」と言っていて、その家の様子は薄々わかっていたようだった。そしてヘレンは、「あまり居心地が良くないなら、家にいらっしゃい。」と言ってくれた。それで、2週間ほどでヘレンの家に移る事になった。

ヘレンの上の息子ルイス、奥さんのミシェル、娘のダニエラ(3歳)、息子アレックス(4ヶ月)

ヘレンの家は、上の息子ルイスの家まで歩いていける距離だった。ヘレンの家はダンナさんのスティーブンと2人暮らしなので、そこまでやる事が多い訳ではない。結局、ヘレンの家に滞在しつつ、ルイスの家に手伝いに通う感じになってきた。最初からそれで良かったんじゃないかと思うが、もしかすると、ヘレンのダンナさんは、ユダヤ教のラバイ(キリスト教で言えば牧師)なので、ラバイの家に、日本人の女の子が滞在するのは、ちょっと問題があったのかもしれない。ようやく、何となく平日はヘレンの家に滞在しながら、ルイスの家に通い、週末はマンハッタンへ観光に行くという生活が定着してきた。

ルイスはNYPD(ニューヨーク市警)勤務で、奥さんのミシェルはブルーミングデールというデパートで働いていたが、今は仕事を辞めて、ダニエラという3歳の女の子と、4ヶ月の息子アレックスを育てていた。ルイスは仕事が忙しく、あまり家にいないので、私はミシェルと一緒に家事育児をこなしていたが、ミシェルは明るく優しい性格で、毎日楽しく過ごせた。

だいたい平日はミシェルの家で家事育児を手伝い、週末はマンハッタンへ遊びに行っていた。

ヘレンの勤務先・公立小学校の生徒達(推定10歳)+同僚の先生達数名

ヘレンはすぐ近くの公立小学校の国語(英語)の先生だ。

あなたも授業に参加してみたら?英語の勉強になるわよ。と言われて、うーん、公立校なのに、そんな簡単に授業に参加出来るのかな?と思ったが、ヘレンが問題ないわよ、というので、とりあえず参加してみる事にして、歩いてヘレンの勤務先の小学校へ出かけて行った。

ヘレンと待ち合わせていたが、見当たらない。入り口はロックされているので中に入れず、ウロウロしていたら、男性が出てきて、「What are you doing !?」と詰問してきた。「え~と~、ヘレン・ドレスナーと待ち合わせしているんですが。。」「ヘレン?うーん、まぁいるけど、、who are you?」とこちらを睨んでいる。すみません・・、怪しいですよねぇ。白人しかいない地域に突然アジア人の女子が現れたら・・。「え~と、私はヘレンの友人で・・。」としどろもどろになって説明していたら、ヘレンがきたので助かった。

日本の学校のように、決まったクラスというのはないようで、教科ごとに移動して授業を行っているようだった。ヘレンに案内された教室で待っていると、10人くらいの生徒達がドヤドヤと入ってきた。みな白人で、10歳くらいのようだった。

「ハーイ、こちらはKeiko. 今日は一緒に授業を受けるからよろしくね。」ヘレンにそう言われた生徒達は、こちらを見て、一瞬「は?」と、戸惑った表情を見せたものの、「Hi, Keiko.」と挨拶してくれた。ヘレンに、Keikoに教科書見せてあげて。と、頼まれた男子生徒と一緒に教科書を見ながら、授業は進む。1人1人順番に教科書を読まされている。これはもしかして私も読まされるのだろうか?ネイティブに混じって読みたくないよ~と思っていたが、容赦なく読まされた。生徒達は「Good try.」と言ってくれた。「Great!」とか言わないところに、10歳児の正直さを感じるな~と苦笑しつつ、無事授業を終えたのであった。

お昼にはカフェテリアに連れていかれて、ヘレンは色んな先生に「こちらはKeikoよ。」と紹介している。私がなぜここにいるのか等一言も説明しないのだが、先生達はみんな紹介されると「Hi Keiko.」と至って普通だ。ある事情により滞在出来なくなったヘレンの同僚パムとはここで初めて会った。パムは「本当にあなたを受け入れる事が出来なくて残念だったわ。今度ぜひうちに泊まりにきて。」と言われたので、後日泊まりに行ってきた。

ヘレンに勧められて通った近所の公立高校で開催している移民の為の英語教室の先生と仲間達

ヘレンが、アメリカには移民が多いから、小学校や中学高校の教室を利用して、無料で英語を教えてくれるのよ、と教えてくれた。ヘレンが勤務している公立小学校でも、朝英語を教えているそうだ。あなたも言ってみたら?と何回か勧められたが、朝6時半スタートと、夜型の私にはキツイ。その後もヘレンは時々その話を持ちかけてきたが、私が行こうとしないので、今度は、近所の高校で、夜英語を教えるクラスがある事がわかったので、参加してみたら?と言ってきた。歩いて行ける距離ではないので、ヘレンか、スティーブンが送迎をしてくれるそうだ。そこまで言われたら、行かない訳にもいかない。それに夜のクラスだし。という事で、私は毎週木曜日の夜、近所の高校の移民の為の英語クラスに通う事になった。

通ってきている生徒達は、年齢も様々で、色んな人がいた。基本的には移民のクラスなので、昼間は清掃やスーパーのレジ打ちなど、働いていて、ある程度は英語が出来るが、無料だしという事で通っている大人が多かった。私のように、移民ではない人もいた。メキシコ人だが、民間の語学学校だと高くて通えないからこちらに来ているという人や、韓国企業のアメリカ法人で勤務しているが、小さい会社なので、英語の勉強は自分でやれという事だが、やはり民間の語学学校は高いからと来ている人など様々。しかし、日本人は私1人で、「基本的にはベビーシッターをしています。」と説明すると、「ベビーシッター?」「日本人?」とみんなザワザワしていた。休憩時間に、「日本人はお金持ちなのに、なぜベビーシッターをしてるの?」と、聞きにくる人もいた。私は別にお金持ちではなかったが、まぁベビーシッターというと、移民がやる安いバイトみたいなイメージなのだと思う。

お菓子を持ち寄って一緒に食べたり、英語を教えてくれている若い先生が結婚する事になったので、みんなでお金を出し合ってプレゼントを渡したり、楽しかった。ヘレンのダンナさん、スティーブンはどちらかというと寡黙な方だったが、いつも私を送り迎えしてくれるので、その道中に話をするようになって、少しずつ打ち解ける事が出来た。

ヘレンの同僚サラ

ヘレンの家で私が寝泊まりしている部屋には、いくつかワークアウト(筋トレ)用の器具が置いてあった。空いている部屋がそこしかなかった為、その部屋に簡易ベッドを置いてくれたのだ。「水曜日の朝だけ、私の同僚サラがワークアウトしに来るのよ。良かったらあなたも参加していいのよ。」と言われたが、ワークアウトには興味がないし、早起きも苦手だ。そんな訳で、火曜日の夜はテレビを置いてある部屋のソファーベッドで寝ていた。一度だけその様子を見学した事があるが、同僚のサラはさっぱりした性格のとてもいい人で、「Hi, Keiko.あなたの話はヘレンからよく聞かされてるの。」と、何を聞かされているのか気になったが、とてもフレンドリー。2人とも50代くらいだろうに、朝から「ハッ!ハッ!」といいながらワークアウトしている姿は本当にたくましかった。

その後、「今度マラソン大会に出るから、あなたも出ない?サラも参加するのよ。」と言われて、「いや~、私マラソンなんてちゃんとやった事ないけど・・。」と躊躇していたら、「大丈夫。ほとんど歩いているだけだから。それに、これは乳がんの治療開発費を得る為のチャリティーイベントなの。」と言われて出てみた。確かに、”We are walking for breast cancers”とプリントされているゼッケンをつけて、一応マラソンとはなっていたが、ヘレンの言うとおり、ほとんど歩いていたので良かったし、何しろ、どう役立っているか微妙にわからないにしろ、何となく社会貢献している気になるし、出てみて良かったと思う。

ヘレンの同僚サラの姪っ子

ハロウィンの時期にはヘレンの同僚サラが姪っ子をハロウィンのお祭りに連れて行くから、一緒に行かないか?と誘われた。ヘレンがあなただけ行ったらいいわよ、というので、サラと姪っ子というメンバーで出掛けた。姪っ子は○○なんだと言われて、その時はその単語が分からなかったけど、見た目でダウン症とわかった。独身のサラは子供がいないので、この姪っ子をかわいがっている事がよく伝わってきた。姪っ子は屈託なく私とも色々と話をしてくれた。美しい紅葉とハロウィンの雰囲気を味わい、楽しい1日であったが、サラがこの姪っ子の将来を心配しているという話を聞き、何も言えない自分が申し訳なかった。

ヘレンの友人の娘スーザン

ヘレンが、友人の娘さんがね、あなたと年が近いのよ。とてもいい娘さんなんだけど、シャイでね、そんなに喋らないわね。あまり友達がいないんですって。あなたの事を話したら、ぜひ娘と友達になって欲しいと言うから会ってみたら?と言う。そして私が行きたい場所があれば一緒に行ってきたら?というので、まだ自由の女神を見ていないので、それで良いかしら?と言ったら、その娘さんも行った事がないという事で、一緒に行く事になった。まぁ、私もだんだん紹介されるのにも慣れてきたので、それは別にいいのだが、なんでわざわざ日本人の私に友達になって欲しいと言うのかは謎だった。それに、電車で1時間の距離に住んでいて、自由の女神像を見に行った事がないってあり?と思ったが、とにかく行く事になった。

会ってみて、確かに、いわゆる一般的なアメリカ人と比べるとテンションが低い。けれども、「あの~、もし私の英語が聞き取れないとかあったら、遠慮せずに言ってね。」と心優しい事を言ってくれる。しかし、私には彼女の英語がすごく聞き取りやすかったので、「なぜかわからないんだけど、あなたの英語はすごく聞き取りやすいの。」と正直に伝えたら、「まぁ、そうなの?もしかすると、私はネイティブではないからかもしれないわ。」と言われた。スーザンは、10歳くらいの頃、ロシアから移民してきたという事だった。彼女の場合、一般的なロシア人の外観とは全然違ったので、言われなければ全然分からなかった。私もスーザンも、「やっぱり・・、自由の女神はニューヨークって感じだね!」と、普通に楽しく観光出来た。スーザンは写真が趣味だそうで、後日、その時に撮った写真をアルバムにしてくれた。

ヘレンの妹家族(妹、旦那さん、娘2人)

ヘレンの妹の家で、サンクスギビングの日に親戚同士で集まるという事で一緒に行った。ヘレンの妹も学校の先生、そのダンナさんは弁護士、娘二人は大学生という落ち着いた感じのファミリーであった。しかし、ジョーダンの奥さんも学校の先生で、ヘレンのダンナさんスティーブンもラバイとして色々と教えている。教える仕事をしている人が多いので、途中で教育についての話になり、みんながズバズバと意見を言い合っているので、聞いているこちらは英語を聞き取るだけで大変だった。そういえば、スティーブンが時々家で信者の子供達に何やら言語を教えているようなのだが、何語なのかさっぱりわからない。ヘレンに「スティーブンは何を教えているの?」と聞いたら、「ラテン語よ。私もさっぱりわからないんだけどね。」と苦笑していた。

その後、夫婦の娘2人のお姉さんは、フィラデルフィアの大学に行っていて、一人暮らしだから遊びに来て、と言われて、行く事になった。マンハッタンの中華街から出ているバスに載ると、普通のグレイハウンドの半額以下くらいだと言われたので、教えてもらったサイトで予約してお金を払い、中華街から出発するバスに載った。しかしまぁ、これが非常にわかりにくい。いわゆる、チャイニーズ専用バスとでも言うのだろうか。中国人しか乗っておらず、運転手は英語が話せない。唯一チケットの確認をしているお姉さんだけが英語を話せるようで、乗っているのは全員中国人か中華系アメリカ人である。おそらく私も見た目には中国人に見えただろうけれど、ここは中国としか思えない雰囲気だった。そうなのだ。サイトは中国語だけでなく英語表記もあったし、別に中国人しか乗れないという訳ではないのだが、全くもって歓迎されていない。恐らく、これは中国系だけでなく、メキシコや韓国系でもこういうそれぞれ同じ人種同士の特別レートがあるのだろう。日本では考えられないが、これこそが人種のるつぼと言われるアメリカの現実なのだ。

ヘレンの息子ルイスの友達

ある日、ミシェルの家で家族全員で夕食のピザを食べていた。そこにルイスの携帯が鳴り、何やら話していた。ルイスは、「今、みんなで夕食を食べているところさ。ミシェル、ダニエラ、アレックスとKeikoとね。」(いやいや、いきなりKeikoって言っても誰だかわからないだろう。)と思っていたら、案の定相手はKeikoって誰か?と聞いているようだ。ルイスは「今ミシェルの手伝いをしてもらってるんだ。Good girl だよ。 会ってみろよ。」みたいな話をしているではないか。電話を終えて、ルイスがKeikoは彼いるの?と聞いてきた。いないと答えたら、僕の友達なんだけど、いいやつなんだけど独身なんだ。マンハッタンまで通勤しているんだ。会ってみないか?と言ってきた。ミシェルも、「彼はいい会社に勤めているのよ。ナイスガイよ!」と言っている。はぁ~、まぁ社交辞令だろうと思っていたら、数日後に本当にその彼がやってきたのである。

が・・しかし、タイミングが悪すぎた。「Keiko!来たわよ~。」と言われた瞬間、私は左手に赤ちゃん、右手に変えたばかりの使用済みホカホカのオムツを持っていた。彼は私の方へきて、握手しようと右手を差し出したけれど、すぐ近くにゴミ箱はなく、赤ちゃんを置く場所もなかった。仕方なく、右手に持っていたオムツをその辺に置いて握手をしたけれど、彼は、それが使用済みのオムツとわかったようで、一瞬嫌そうな顔をしたのを見逃さなかった。仕方ないじゃないの~。だいたいオムツ触った手を嫌がるなんて子供好きではないに違いない。結局、少し話はしたものの、それだけで終わった。。まぁタイミングだけが問題ではなかったとは思うが。

ヘレンの友達で全く料理をしない友人(最近離婚したばかり)

友達の家に招待されているから、あなたも来たら?とヘレンに誘われて出かけて行った。ついて早々、「ツアーするわよ~!」と家中を案内された。噂に聞いてはいたものの、アメリカ人って本当にお客さんに家中を見せるんだな~と思った。その友人は、「私、全く料理しないのよ。」と言いながら、次々に缶を開けている。私も手伝ったが、豆をチリソースで煮込んだようなもので、それをライスの上に、ドバ~ッとかけて終わり、というものであった。食べてみたらまぁ、見た目よりは美味しかったが、すごいなぁ、やっぱり料理しないアメリカ人って多いんだなぁ、そしてそれはお客さんがきても変わらないんだなぁと感心した。

家は広かったが、つい最近離婚したばかりだそうで、その日は子供達が夫の家に泊まりにいっているという事だった。その後で子供達が離婚した夫の車で送られて帰ってきた。私はついつい窓から、どんなダンナさんなのかなぁと覗いて見てしまったが、見た感じは普通のアメリカ人って感じ。しかし、お互い一切話をする事なく、挨拶をする事もなく子供の受け渡しだけが淡々と行われたので、なるほどぉ・・。離婚すると、こういう感じなのかもなぁと考えてしまった。

ヘレンの友達ヘレン(笑)と甥っ子姪っ子

私のカナダ人の知り合いシェリルの従兄弟・ヘレンにも会った。名前が一緒なのでややこしいが、シェリルの知り合いでニューヨークに住んでいる従兄弟というのがその時あったヘレンで、私が滞在している家のヘレンはその従兄弟ヘレンの友達なのだ。で、シェリルの従兄弟ヘレンが、姪っ子甥っ子をニューヨークのクリスマスの風物詩「ラジオシティ クリスマススペクタキュラー」というショーに毎年連れて行っているので、私も是非一緒にと誘ってくれたのである。このショーは1933年以来続いており、これを観ないとクリスマスを感じられないというニューヨーカーも多いという。チケットを取るのも難しいし、安くもないのに申し訳なく、チケット代を払わせて下さいと申し出たが、「あら!何言ってるの。気にしないで。ニューヨークの伝統をあなたにも知ってもらいたいの。」と頑として受け取ろうとしなかった。

ニューヨークに来てから、「レ・ミゼラブル」などのミュージカルをいくつか観たが、どれも素晴らしかった。このショーもまた、一糸乱れぬ動きが美しいとしかいいようがなく、これが1933年から続いているショーだなんて、アメリカのエンターテイメントのすごさを感じた。甥っ子姪っ子もティーンにしては素直でまだまだかわいらしく、微笑ましかった。こちらのヘレンとはこの時初めて会ったので、シェリルの話などもして、お礼を言って別れた。

私の友達の彼(チベットからの難民)

日本の私の友達が、ニューヨークに1週間ほど滞在するという連絡がきたので、会う事になった。待ち合わせ場所に行ってみると、友達と一緒に男性が1人ついてきて、「Hi」と言う。これは誰だろうと思っていたら、友達の彼だと紹介されたので驚いた。ニューヨークに来たのは、私がいるからとかではなく、彼に会う為だったのだ。。しかし、この彼、見た目でどこの国の人なのか判別しにくい。「えーと、彼はアメリカ人?」と聞いたら、彼とはインド旅行中に出会ったそうで、その時意気投合し、つきあう事になったそうだ。彼はチベット人で事情があって難民申請したという事だった。現在はグリーンカードの申請が通り、ニューヨークで暮らしているそう。彼女がインドに時々行っていたのは知っていたが、まさか彼がインドで出会ったチベット人で、ニューヨークに亡命した人だとは知らなかった。

そんな訳で1日映画を一緒に観たりして過ごしたが、とても良い人で、友達とも仲よさそうだった。友達は公務員で、彼はニューヨークに住んでいる。・・今後どうするのかな?と思ったが、友達はなんと、仕事を辞めてニューヨークに住む事を考えているという。すごいなぁ~安定した公務員という仕事を辞め、グリーンカードを持っているとは言え、ここで暮らすのは大変じゃないかなぁと感じた。私は彼女が公務員なら、彼が日本にきて住んだ方がいいのではないかと思ったが、その前に彼女が、「彼が日本に住むっていうのも考えたけどね。。でも、彼もここで頑張っていて、落ち着いてきたところだし、また移動して日本にきても、難しいと思う。」と言った。なかなか難しい状況だなぁと思いつつ、2人は本当にお似合いだったので幸せになって欲しいと思った。

ルイスと、私の友達の彼がニューヨークに住んでて、、という話をしていたら、「その友達ってどこに住んでるの?」と聞かれて、地下鉄の駅名を聞いていたのでそれを伝えたらルイスが驚いて「What kind of friend ?」と言う。ルイス曰く、その地域はかなり治安が悪く、普通はそんなところに住まないよ。日本人なの?と聞かれて、友人は日本人だが、友人の彼はチベット人で亡命してきた人で、インド旅行中に、当時インド住んでいた彼と出会ったらしいと話した。彼はグリーンカードを持っているらしい、と話したら、「ふーん。。でもまぁもしまた会う事があってもマンハッタンで会うべきだね。その地域には行かないように。」という事だった。

私の友達のインターンシップ仲間の日本人

インターシップでイギリスに滞在していた事のある友人が、同じ時期のインターンシップの集まりで会った日本人が今頃ちょうどニューヨークにいるから会ってみたら?というメールが届いた。今度は日本にいる友人からの紹介か・・、と苦笑してしまったが、会ってみる事にした。私と同じ年頃の男性で、TGIFで食事をした。小学校の先生のアシスタントとして、インターンシップ中だという。滞在しているお家の話を聞いたら何だか大変そうだった。

そもそも地域的に、黒人が多く住んでいる地域で、治安が良いとはあまり言えない事は私でもわかる地域である。子供が4人もいて、その上インターンシップの外国人を受け入れているのは、ただ単に「お金の為。」と公言してはばからないという。その家を紹介したのはインターンシップを斡旋している日本の会社なので、決して安くない滞在費をその家に払っているのに、そんな環境に耐えざるを得ない彼と、ベビーシッターとちょっとした家事をしているくらいで、無料で滞在させてもらっている自分を考えると、ヘレンに深く感謝をせざるを得なかった。しかし、「いや~、その会社に、ホームステイ先を変えて欲しいって言ってるんですけど、見つからないとか言って、全然話が進まないんですよ~。」と明るい。

彼は、私がなぜベビーシッターをしながらニューヨーク郊外の落ち着いた住宅街に滞在出来ているのか、興味津々だった。彼は学校で日本語を教えていたので、その話を聞いたりして、楽しく過ごしたのであった。

迷子の私を助けてくれた親切な中国人ファミリー

紹介された訳ではないが、とても感謝している中国人ファミリーの事も書いておきたい。ヘレンの下の息子ジョーダンの家に滞在していた頃、初めてマンハッタンへ観光に行った時の事である。最寄りの電車の駅までは遠い為、バスで行った方がいいと言われて、行きは電車の駅行きのバスだったので、簡単だったが、帰りに、駅からジョーダンの家近くのバス停で降りるはずがわからなくなってしまった。行きとは反対車線だし、停車の地名もよくわかっていなかったからである。暗くなっていたし、これはまずいと思った。ジョーダンに電話しようにも、携帯を持っていなかったので、公衆電話を探したが、住宅地なので見えるのは家ばかり。誰かに電話を借りるしかなさそうだったが、この状況でその辺の家をピンポンしようものなら、いきなり銃で撃たれそうだ・・。

どうしようかと考えていたその時、ちょうど一台の車が、ある家の前で止まり、家族らしき人影が見えた。見た感じ、黒い髪で中国人っぽい。私は何となく、ほっとせざるを得なかった。これが白人のファミリーだったら、絶対に「Who are you !?」と詰問されていたに違いない。自分以外のアジア人に会う事がなかったし、いくらヘレン達が良くしてくれていても、何となくアウェー感は拭えない。そんな時に久しぶりにアジア人に会ったので、例え日本人ではなくても、我が同胞、という感じがしたのである。恐る恐る、「すみません・・。私は日本人です。知り合いの家に滞在しているんですが、迷子になってしまいました。電話を貸してもらえませんか?」と声をかけてみた。

彼らは突然現れた私に驚いてはいたが、事情を説明したら、ジョーダンに電話をかけて家の住所を伝えてくれた。ジョーダンが車で迎えにきてくれて、私は無事帰る事が出来たのだった。思った通り、彼らは中国系アメリカ人だった。名前も知らないが、本当に感謝している。

18 years later・・

私がベビーシッターとして滞在したのは、ビザ無しで滞在出来る3ヶ月間だけだったが、その間に、こんなに多くのアメリカ人に会う事になるとは思っていなかった。ニューヨークというと、派手なイメージがあるかもしれないが、私が滞在したのは郊外という事もあって、私達日本人と同じように、日々の生活を営む普通の生活をしている人々の中に入り込んで、そこで過ごしただけである。

ヘレンだけでなく、誰も私にどこから来たのか、なぜ滞在しているのかと詮索する人はいなかった。ヘレンも、正直言って、何も気にしていないに違いない。アメリカ人は本当にフランクというか、おおざっぱというか。。住んでいた地域からして、落ち着いた白人の中流家庭が多く、人種のるつぼであるアメリカにおいては、私が見聞きしたのはほんの一部のアメリカでしかない。

何年か後にニューヨークへ遊びに行った時にヘレンやパムには再会した。その後も連絡はとっており、ヘレンからは、ジョーダンとアナスタシアは離婚し、その後仕事の都合でジョーダンは息子ポールと、その後生まれた娘を連れて、カルフォルニアに引っ越したと聞いた。(やっぱりなぁ。なんだかあの夫婦、しっくりいってなかったもんなぁ。)と思った。ルイスとミシェル、子供達は引き続き同じ場所に住み、子供達も大きくなったという。

私の友達と、チベットからニューヨークに亡命した彼は、その後友達が仕事を辞めニューヨークに移り住んだ。子供も生まれて何とかやっているらしい。

最後に。ヘレンの同僚パムの家に滞在できなかった理由は、パムとスティーブ夫婦は子供がおらず、ちょうど私がニューヨークに行った頃に、インドからの養女を迎えたばかりだった。養子の斡旋をするエージェントは、その子供が新しい環境で問題なくやっていけるかどうかを厳しくチェックするそうだ。そこに見も知らぬ日本人を一時的とはいえ受け入れるのはよろしくないという判断が下され、受け入れ不可となったという事だった。泊まり行くくらいならOKだったので、その養女に会ったのだが、当時、1歳になったばかりで本当に小さかった。

パムはその後、日本に遊びに来ると言っていて飛行機の予約までしたが、東日本大震災が起き、延期になった。

そしてついに今年、スティーブの仕事の関係で日本で会議があり、東京に来る事になったので、3週間ほど日本に滞在する予定だという連絡があった。私は関西に引っ越していたが、京都に2週間ほど滞在するというので、私の娘も一緒に一日京都観光を楽しんだ。パムは、私に娘がいる事は知っていたが、実際に会って本当に喜んでくれた。

私がベビーシッターとしてニューヨークに滞在していた時から18年がたっていたが、会って話すと人って性格は変わらないものだ。前と同じように明るく優しいパムであった。

私は来年、8歳の娘を連れてドイツのベルリンへ親子留学をする予定だ。その話をパムに伝えたら、驚いてはいたが、おもむろにこう言った。「思い出したわ。あなたはアドベンチャーが好きだったわね。あなたの性格は知っているから、私はそこまで驚かないわ。あなたらしいわ。」と言っていた。

夫は日本に残るので、一緒に仕事をしていたイタリア人には「Are you crazy ?」と言われたが、まぁ仕方がない。パムもヘレンも今は違う仕事をしているので、連絡はとっていないようで、ヘレンには私から連絡した方が良いだろう。でも、きっとヘレンも応援してくれるだろうと思っている。

ABOUTこの記事をかいた人

Keiko Hagi (羽木 桂子)

フルタイム勤務のワーキングマザーを経て、現在はドイツ親子留学に向け、フリーランスで働きながら準備中。夫は単身赴任中で、小学生の娘と2人暮らし。ワーキングマザーのサロン開催、サークルや、PTA、学童の役員等で、多くのワーキングマザーと関わってきている。海外との仕事をする機会が多く、添乗や出張、旅行等で30カ国以上を訪問。独自の視点をコーチングに活かし、ワーキングマザーをサポート中。
♦GCS認定コーチ
♦Points of You® Explorer(国際資格)